2011年11月26日(土)秩父市秩父神社参集殿
12月 3日(土)浜松町 カラバッシュ
12月10日(土)三鷹 沙羅舎
(第三回三鷹いのちと平和映画祭)
12月17日(土)東中野 ポレポレ坐
2012年1月29日(日)蕨 蕨眼科ホール
2011年11月26日(土)秩父市秩父神社参集殿
12月 3日(土)浜松町 カラバッシュ
12月10日(土)三鷹 沙羅舎
(第三回三鷹いのちと平和映画祭)
12月17日(土)東中野 ポレポレ坐
2012年1月29日(日)蕨 蕨眼科ホール
◆初上映会日程(終了) ご感想はVoiceへ
ケサル大王とは?
アジアの大河の源、いわばアジアの命の源に誕生し、東チベットの草原の民が
理想と願いをこめた世界最長の英雄叙事詩「ケサル大王伝」の主人公です。
神秘的な語り部が今なお存在し、生命力あふれるケサル大王を浪々と語ります。
ケサル大王とはどんな英雄で、人々はどんな思いを抱いているのでしょうか。
5年に及ぶ取材は「東チベット」の自然環境と社会の変動をも捉えました。
映画「ケサル大王」はチベットのもう一つの豊かさ、魅力、そして現実を伝えます。
この壮大な英雄叙事詩を抜きに、チベット文化の偉大さを語ることはもうできません。
(監督 大谷寿一 上映2時間)
*来日されたブータン国王はミドルネームに「ケサル」とあります。「ケサル大王」にちなみます。
*リンク 「リン・ケサル」の伝承世界(別所裕介氏)
取 材
7年間に8回、現地に入りました。すべて2週間以内のビザなし期間での 取材です。 現地は四川省カム地方には成都から、青海省アムド地方には西寧から 入りました。高度順応もあり目的地に到着するのに4日はかかります。 ということは往復だけで 一週間になります。現地に入っても目的の祭りなどが中止になっていたり、間に合わなかったりと予定通りにいかないことがしばしばでした。
これまで世界各地をテレビ取材で回りました。アフリカの国立動物公園やサハラ砂漠、南米のインカやマヤの世界は何度も機会をもらい、まるで自分のフィールドでした。
しかし、バブルがはじけると、民放ゴールデンの時間枠が消え、制作を行う場がたちまちせばまれ、フリーの身はもろにその影響を受けることになりました。
一方、技術の進歩によるデジタル化は撮影から編集まで今までプロの領域だった高画質(HD)レベルの機材を個人でも手に入る値段(1/10以下)にしました。
そんな時代を迎え、新しい環境と出会いを求め、私には未知だった中国の少数民族の取材を始めました。そんな時、「ケサル大王」を今無き友人PDから聞いたのです。
*
最初の取材は2004年、甘粛省のマチェで行われた第2回ケサル祭りでした。北京から来てもらった友人のHさんと成都に着き、その足で運転手付きの車をチャーターして現地に朝5時に到着、ホテルのロビーで一寝入りしました。
目が覚めたら赤い服を着た僧侶が長いホルンを持って入ってきました。 チベットはラサのある自治区だと思っていましたから、こんなところにチベット族がいるのが
不思議な感じでした。その後何度も東チベットに入るのですが、黄河が最初に曲がるこのマチェは
チベットの漢世界との最東端だと思います。
祭りは黄河を渡った草原で行われました。
数百人の男女が長袖を振って踊り、弦楽器を演奏し(といっても前列のみ、他はハリボテ)、移動舞台ではケサルとジュグモが現れました。カメラを向けても皆さん好意的で楽しい取材が出来ましたが
まだケサルについての知識はほとんどなく、何がなんだか分からずに祭りは終わりました。
当時はDV方式のカメラで撮り、4:3の画面でその後のHDV方式と合わずほとんど使うのをあきら
めました。唯一使ったのが黄河河畔でのケサル大王を讃える歌のシーンのみです。
この訳をしてくれたのは在日チベット人Sさん。実は取材中、若い地元のテレビ局のスタッフが「私の兄が日本人と結婚し、東京の近くに住んでいると話しかけてきたのです。驚きました。そして兄に
渡してほしいと一抱えもあるヤクの干し肉を預かりました。そのおかげで綺麗な翻訳をしてもらうことができたのです。
帰り道、石の塔がそびえるイ族の村を通りました。ある村で昼飯を食べていたらここは観光をしていて見学が出来るといわれました。姉妹がガイドをやっていました。美人なので?カメラをまわしたら
意外な展開になり、一本の作品を作りました。いずれYouTubeにでもあげましょう。
そしてこの街道が四川大地震の被災地になったのです。あの姉妹たちはどうしているでしょう。
*
2006年の取材以降工事中